おばあちゃん

 夏休みやお盆休みで、
帰省される方も多いと思います。

 どうぞご両親を大事に為さって下さいね。

 私は、
とても人様に偉そうに言えるような
立場ではありませんけれど・・・。

 一人暮らしを初めてした人は、
まず、その時に親のありがたみを感じると思います。
 20年程前の僕もそうでした。

 でも、やがて、また、
親のありがたみを忘れてしまいがちです・・・。

 実は先日、
阪神甲子園球場のチケットを貰いに
実家に帰りました。
 その際、
父と一緒に、
母の母(つまり、僕のおばあちゃん)
を病院にお見舞いに行きました。
今年89歳です。

 終戦後、外地から引き上げて
日本に着いたその地(下関)で、
いわゆる長屋(ながや)で、
僕の母を含めて6人の子どもを
夫(つまり、僕のおじいちゃん)と共に
育て上げました。

 外地では、おばあちゃんのおじいちゃんが
建設業で成功し、
お盆や暮には、
大きな蔵に入りきらないくらいの贈り物が届いたそうです。
 僕のおじいちゃんとは、駆け落ちして、
一緒になったそうです。

(ぼくのおじいちゃんは、
 背が高くてカッコよかったです。

 ちなみに、
 母方のおじいちゃんも、
 父方のおじいちゃんも、
 6尺(180センチ)超える偉丈夫
《いじょうぶ。立派な体格のこと》
 です。

 その遺伝子は、いったい何処に行っちゃったのか・・・。

 あっ、おばあちゃんは、
 母方も父方も小っちゃいです。
 その遺伝子だけ僕に来たか〜。

 話しがそれました・・・)

 駆け落ちして、
 長女として生まれた
 僕の母は3歳まで戸籍に入ってなかったそうな・・・。

 おじいちゃんと、その息子達
(つまり僕の母の弟達、
 つまり僕のおじさんたちです)
は、戦後みんな外国航路の船乗りになりました。
 南アフリカで白人用のトイレに入ったら、
因縁つけられたそうです。

 長屋を買い取って、
大きな2階建ての家を建てました。

 客間に大きなワニの剥製(はくせい)が
あったのを覚えています。
 庭の池には鯉(こい)が泳いでいました。
 鯉にエサをやりながら、
「猫が鯉を取って困る」とおじいちゃんが
小さかった僕(幼稚園ぐらいだったような・・・)に
こぼしていたのを覚えています。

 おじいちゃんが亡くなった後、
おばあちゃんは自宅の2階を改築して、
日本舞踊の教室を開きました。
確か錦流とか言ったと思います。

 やがて、おばあちゃんも
一人暮らしが
寂しくなったのかもしれません。
 うちの実家にやってきました。
 うちの実家に来てからも、
やれ盆踊りだ、やれフォークダンスだと
元気に出歩いていたのですが・・・。

 やはり、
さすがのおばあちゃんも
歳(とし)には勝てないようです。

 頭も、目も、耳も
しっかりしてるし、
ご飯も良く食べてるようです。

 でも、僕が知っている、
オードリー・ヘップバーンが着ていたのと、
たぶん全く同じ、
ものすごく大きな羽飾りのついた帽子を着て、
手には大きな指輪がいっぱいの
あの、
おばあちゃんの面影(おもかげ)は
もうありません。

 それでも、ここにこのおばあちゃんがいるから、
ここに今の僕がいるのだと、
じわじわ感じながら、
おばあちゃんと父の世間話を
傍ら(かたわら)に立って、
聞いていました。

 「どうぞお元気で」
と握手して、病院を後にしました。

 おばあちゃんのような劇的な人生は送れないし、
母から見ても僕は、
しょうもない生き方をしていると思います。

 おばあちゃんや母や父が、
生活と戦い、暮らしてきたからこそ、
今の僕がここにいる、
それだけは、
忘れずにいようと思います。

 だから、みなさん、
ご両親には、
いろんな言いたいことがあっても、
ご両親が居なかったら、自分が居ないのは事実なんだから、
その事だけは忘れないで欲しいな。

 今年もお盆は暑そうです・・・。

今日は、ここまで。また、読んで下さいね!
皆さんにこれからもよいことがたくさんありますように!

2003年07月28日23時23分59秒
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